Trees in the mountains

左官の壁から学ぶこと

生産性、という言葉がある。仕事によってどれくらいのモノやカネを生み出したかを測る言葉として使われていると思う。

僕は土壁が手際良く、美しく塗られていく様子を見ながら、生産性の事を考えていた。そしてこれはものすごく生産性が高いのではないか、と気が付き、とても感動した。手仕事で行われる左官工事だから、この感覚はもしかしたら一般的な感覚とは反対かもしれない。

最近、特にAIに触れる様になってから、この生産性の概念がもうすぐひっくり返るのではないかと、心のどこかで思っているところがある。うちの息子が大人になるころには、いわゆるホワイトカラーと言われ、一般的に生産性が高いと思われていた仕事が実は何の価値も生み出していなかった。ということが起きてしまうかもしれない。と。

今の社会が生み出した、仕事の例をひとつ。僕だって胸に手を当てて思い返すと、心当たりがある。 例えばロゴを3案から選びたいから考えて欲しい、という依頼があったとすると、捨ての2案を考えていた時間は何の価値も生み出していない事になる。空調の効いたオフィスでエネルギーを使いながら、無駄な時間だけを過ごしたことになる。(デザインはその性質上答えが複数になる事などあり得ない。デザイナーはその事をわかった上で捨て案を用意している)

もしかしたら、百歩譲って、無意味な資料が現在ではまだ一定の効果があって(捨て案がある事でプレゼンが通るなど)、売上、雇用、そして社員の生活を生み出す、という価値はあるかもしれない。が、もしそんな仕事を通して、心を病んでしまう人が多い社会だとすると、本当に救いがないと思う。 そこが地獄だと誰も気がついていない、本当の地獄かもしれない。受刑者の心をへし折る一番の方法は、ひたすら穴を掘らせて、翌日にまた埋めさせる、という誰の役にも立たず意味も見いだせない作業を繰り返すことだそうだが、どこかそれに似ているなと思う。

さて、そこで左官に戻る。 今回、家の外壁の左官の材料は、元々建っていたボロボロの納屋の荒壁に使われていた土を再利用し、僕たち家族が育てた稲わらを混ぜた素材だ。

職人の藤田さんは土の状態を見て、大体の材料の比率を導きだす。「どういう比率ですか?」と聞くと「適当」と答える。僕の経験上、職人のいう「適当」は一番正確だ。

土、砂、モルタル、スサ(稲藁)、角叉(ツノマタ*海藻の粉)、水。配合は土の粘り気や、左官する場所の条件によって変わる。 この比率は、どんなにAIが進歩しても答えを出すことは出来ないだろうと思う。それぞれの材料の物理的な特性を見極め最後はなんと「適当に」だからだ。

そして壁が塗られていく。迷いなく、身体に染み付いた所作で、全ての点が線になり面になっていくように。そこにただ落ちていた土を練り(土は気が付かなければ産廃としてお金を払って捨てたはずの土だ)、副産物の稲わらを混ぜ、美しい壁が立ち上がって来る。

そこに意味のない仕事など何一つ思い浮かばない。僕がデザインに関わる人間なので、少し贔屓目だけど、出来上がる壁の「美しさ」の価値は無限大だ。僕はこの先、この壁の美しさについて、家を訪れた多くの人に話すと思う。この仕事の価値は伝え広がっていくと思う。

この左官仕事が教えてくれる本当の生産性とは、モノを生み出したか、カネを生み出したかではなく、価値を全体でプラスにしたかどうかだと思う。効率良く、多くのカネが集まったとしても、その仕事が世界の価値を増やしていなければ意味を持たない。そこにあった物から美しいものを作り出す仕事は、僕の目から見れば世界に価値を増やしているようにしか見えない。だから感動したのだと思う、まさに「生産的」だった。

この先僕は「この仕事は本当に世界の価値を増やすのか?」と自分自身に問い続けたいと思う。これは僕自身が知らず知らずのうちに「穴を掘っては埋める事を繰り返す」地獄へ落ちないための防衛策でもある。